社会人になって(書いてる今は無職ですけど)一番良かった習慣は、間違えなく読書と言い切れます。
その理由を紹介します。
自分の悩みは、既に誰かが解決してくれているかもしれない。
ダイアモン社の記事で、ライターの古賀さんはこのように述べていました。
たとえば、はじめてドストエフスキーを読んだときのぼくは、そこで語られている内容に「なんと現代的なテーマだ!」と驚かされました。そして「ドストエフスキーは100年後の未来を予見した、先駆的な作家だったのだ!」などと勝手に興奮しました。
でも、それは違うのです。
ドストエフスキーにかぎらず、古典とされる作品群を残した文豪たちは、先駆的だったわけでも進歩的だったわけでもなく、ただただ「普遍的」だったのです。その作品が普遍性を帯びていたからこそ、いまを生きるわれわれにも突き刺さるし、刊行当時にもおおきな人気を博していたのです。置かれた状況は変化しても、人間の抱える悩みなんて100年や200年の単位で変わるものではありません。
ロングセラーを生み出す秘訣「10年先を見たければ、10年前を見よ」
この記事での古賀さんのような体験を、自分は「嫌われる勇気」で体験しました。
読書が習慣になる前の僕は、自分自身の悩みに対して、色々と思いを巡らせていました。
特に「承認欲求」に関して、ずっと悩んでいたんです。
自分は自由に、好きに生きたいと思っている。と同時に、人に承認されたいという欲求も持っている。
周囲の人間に承認されようとすれば、その人達に承認されるような行動をしなければならない。
もし、自分のやりたいこと・自由な道を選べば、周囲の人たちから承認はされない。そして、承認されなければ、そのコミュニティで孤立してしまう。承認欲求さえなければ乗り越えられるかもしれないが、これは本能として備わっている(と僕は思っている)ものだから、なくすことはできない。それに、自分は承認欲求が強いタイプだ。じゃあ、自由な人生なんて進めないじゃん。
この悩みは、僕が小学校低学年の頃からずっと考え続けたものでした。二十歳を過ぎてもなお、解決はしませんでした。
しかし、読書をするようになって、とりあえず売れている本を読んでみようと「嫌われる勇気」を読み、そして、驚きました。
19世紀の心理学者、アルフレッド・アドラーが「承認欲求を求めることを否定する」と語っていたんです!
承認欲求の部分がちょうど記事として抜粋されていました。

そこから一部引用します。
他者から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は「他者の期待を満たすこと」をその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。
アドラー心理学は、あなたの「承認欲求」を否定する!
意外に思われるかもしれませんが、カウンセリングを受けに来られる相談者に、わがままな方はほとんどいません。むしろ他者の期待、親や教師の期待に応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位に振る舞うことができないわけです。
この後、承認欲求を否定する手段として、課題の分離という考え方に繋がっていきます。
僕の10年以上悩んでいた問題について、100年以上前の心理学者が考えていました。
そして、どう立ち向かったらいいかについても考察してくれていました。
承認欲求を本当に否定できるか、僕はそ今でも分かりません。しかし、僕自身はこのアドラーという心理学者が言っていることを信じ、チャレンジしてみようと思ったんです。
この経験から、僕は悩みを解決することができました。
古賀さんのドストエフスキーの話と同じ結論ですが、人間の抱える悩みなんて100年や200年の単位で変わるものではない思います。
皆さんも、読書を通じて、先人たちの考えに触れることで、悩みを解決させることができるはずです。
もしかしたら、読書をせずに悩みを解決できるかもしれません。しかし、それは「車輪の再発明」をしているに過ぎません。
そんな時間が勿体ないことをするより、読書を通じて解決した方が、効率が良いと思います。
他者の視点を得ることができる。
前章では、自分が持っている悩みを解決できるという話でした。しかし、読書の利点はそれだけではありません。
もう一つの利点は、読書を通じて、自分が持っていなかった他者の視点を得ることができることです。
僕にとっては、「メモの魔力」というビジネス書を読んだことがキッカケでした。
上の記事に詳細が書いてますが、僕にとってただの情報の記録でしかなかったメモが、アイデアを生み出すためのスキルになりました。
この本を読む前の自分には、そういう視点はありませんでした。
本を読むということは、著者の頭を見させてもらっている行為に近いです。
読書をすることで、自分にない視点を持っている著者の頭を覗いて、視点を得ることができることができます。
最後に
まとめると
- 自分の悩みは既に誰かが解決しているかもしれない。
- 自分の持っていない視点を持つことができる。
読書をするまでの自分は、読書をしなくても経験から学んでいけると思っていました。
だけど、これが少し遅いと感じました。読書した方が、効率よく、体系的に学ぶことができます。
是非、この記事を読んだ人が読書を一冊でもしてくれたら幸いです。
あと、ドストエフスキーはまだ読んだことがないので、これから読もうと思っています。