退職して無職になり帰省しました。
改めて、自己紹介および退職した理由について書いていこうと思います。
名前:ちゃんこ
経歴:
理系院卒
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メーカーへ就職。社内ベンチャーで3年間、品質管理と開発に携わる。(生産技術、マーケティングも少々やり、何でも屋状態)
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2022年6月末で退職し、地元へ帰省。ただいま無職。
資格:QC検定2級
趣味:ビリヤード/写真/読書
座右の銘:空元気も元気のうち
ストレングスファインダーの資質:適応性、ポジティブ、信念、内省、成長促進

ここから時系列で色々書いていきます。暗い話も出てきますので、スルーしていただいても構いません。
0~5歳:幼少期
最初で最後のモテ期
母曰く、可愛いすぎて女子高生によく抱っこされたらしいです。
明るく元気いっぱいだったとのこと。

以降、全くモテませんでした。現実は非情です。
泣き虫末っ子爆誕
当時で覚えていることと言えば、
兄に泣かされる→泣きわめく→母が兄を叱る
を繰り返していたことです。
この頃から、泣けば誰かが助けてくれると思っていた節があります。
構ってちゃんだったんですね。
6~12歳:小学生
居場所を感じられない生活
父は仕事柄、飲み会が多くあまり家にいませんでした。いても、泥酔しているか。
母は残業が多く、帰りが遅かったです。
家族が揃っていても、父が基本的に酔っぱらっているので、母親を怒鳴りつけるところを見ることがほとんどでした。そして母もキレてました。
父からは、母がおかしいという話を聞かされ、
母からは、父が暴言を吐いてきて嫌いだと愚痴られて過ごしました。
僕は僕で、兄に対しても構ってちゃんで接していたので、煙たがられていたように感じます。
居場所の無さを感じていました。
兄とは高校生ごろに仲良くなったものの、この生活は高校卒業まで続きます。
母が健康食品に過度に傾倒しだす。
僕が小学校を卒業する頃、兄が病気になり入院しました。
その頃から母の健康への意識が高くなり、料理の味がおかしくなっていきました。
簡単に書くと、隠し味が隠れてないような感じです。
これが原因で両親が喧嘩しているところもよく見ました。
※母の名誉のために書くと、美味しい料理も作れる人だと思います。
ただ、健康のために何かを追加したために変な味になっているような印象でした
今は基本スタンスは健康食のままですが、少し改善されて、美味しくなっています。
13~15歳:中学生
アニメ・漫画にドハマりする。
現実世界に所属感を感じられないと、二次元の世界に行きたくなりますよね(笑)
当時よく見ていたアニメ・漫画は
- らき☆すた
- けいおん
- Air
- CLANNAD
- ストライクウィッチーズ
- ガンダム全般
- ひだまりスケッチ
- よつばと
勉強を頑張る。
中学校って、期末テストの目標を書かされるというのがありませんでしたか?
中学一年生の頃、それに5教科の目標点数(確か430点くらい)を書いていたところ、父から、
その目標+10点取ったら、PSP買ってやるよ。
と言われたので、必死に勉強。450点を取り、目標達成。
以降、どうせやりたいこともないし、とりあえず頭良い方が良いだろうと勉強を頑張る。
16~18歳:高校生
進学校に入学できたものの、大して勉強する気になれず。
アニメのやれやれ系主人公の真似をして、窓の外眺め、無気力感を出して悦に浸っていました。
必死になって頑張ってるのってちょっとダサいよね。。やれやれ。
まぁ、本気出したらめっちゃ凄いけどね^^
当時の自分をぶん殴っておきたい。
2chまとめサイトにハマる。
とにかく2chにはこの世の真実があると思い込んでいました。
しかし、実際に2chを見て投稿する勇気はなく、まとめサイトだけ見ているにわかでした。
他には、モバゲーでチャットしたり、漫画家になろうと絵をかいてみたり(すぐにやめた)していました。
父がアルコール依存症と診断される。
父の酒があまりに酷いということで、病院へ連れて行ったところ、アルコール依存症と診断される。
母がうつ病になる。
父のアルコール依存症の診断から数か月して、母がうつ病になりました。
父と上手くいっていなかったのもあるようですが、仕事が激務で忙しいかったことも要因の一つのようです。
また、食生活にもこだわっていましたし、家庭での負担も大きかったのではないかと思います。
この頃の家庭での記憶はほとんどありません。2chとニコニコ動画とアニメを見て、現実逃避をしていた記憶しかありません。
県外の大学へ進学することを決意する。
こんな毒親の元にいたら、自分は一生幸せにはなれないだろうと思っていました。
県外の大学へ行けば、喧嘩を見なくてもいい。母のよく分からないの健康食も食べなくていい。
そう考え、高校2年の冬から勉強をスタート。塾に通いながら勉強し、某国公立大学へ進学。
ガンダム作りたくて、機械科を目指すも、物理と数学が壊滅的にできず断念。
暗記が得意で、化学が得意だったので化学科へ進学しました。
塾の費用がめちゃくちゃ高かったことを覚えています。そういう意味では、費用を負担してくれた両親に感謝しています。
19~24歳:大学~大学院生
一人暮らしになり、過去の暗い話はおさらば!大学生デビューしてやるぜと意気込んで入学しました。
が、登校日前日にナルキッソスをプレーし、絶望。

出鼻を挫かれる。(友達はちゃんとできました。)
ビリヤードと出会う。
友達の中で一番モテそうなヤツが、ビリヤードサークルに入ると言っていたので、自分も参加する。
こんなモテそうな感じのヤツがビリヤードって言ってるんだから、きっと自分も陽キャになれる!これでモテモテだぜ!と思ったのですが、そんなことはなかった。
ちゃんこ君、消費税の増税前に道具買っておいた方がお得だよ~
ちゃんこ君、練習も頑張ってるね!試合とか出てみない?
試合勝てない!悔しい。ビリヤードもっと上手くなりたい!

以降、ビリヤードに熱中する。講義以外の時間はほぼビリヤード場に通い詰める。
平日は4時間、休日は終日ビリヤード場で過ごす生活で、大学の友達と会話した時間より、ビリヤード場で大人たちと会話した時間の方が長かった。
こんな生活してたら、そりゃモテないですよね…
留年しない程度に勉強しつつ、ビリヤード三昧な生活をくりかえしていました。
修士1年の頃にA級昇格。公式戦で14連敗したときの記憶は忘れられない。
ビリヤードを始めて一番良かったことは、大人になっても全力な人たちがたくさんいる、という事に気付けたことです。
父や母のような大人しか見てこなかった自分にとって、このような経験は大変貴重なものでした。
何かに熱中することの大切さや、自分の信念を貫き通す生き様を学びました。
振り返ると、自分のやっていることが上手くいかなかったとき、両親や家庭に原因を見出すことが多かった。
しかし、それは本当は関係ないことで、言い訳にせず自分の生きたいように生きようと決心するきっかけになりました。
こういう大切なことに気付かされたからこそ、ビリヤードという競技が好きなのかもしれません。
25~27歳:サラリーマン
ビリヤード場での居心地が良かった半面、周りの方々に子供扱いされることに納得できず。
また、人間関係で上手くいかないこともあったので、他県で就職することにしました。
ビリヤードを継続して続けたかったので、残業時間の少ない企業を調査して就活していました。
希望の研究開発部門に配属されるも…
研究開発部門内のベンチャープロジェクトへ配属されました。
書きたいことは山ほどあるので、箇条書きします。
- いきなり工場へ飛ばされる。通勤時間が片道1.5h
- 品質管理と生産技術が主務になる。研究開発とは…?
- 36協定の上限労働時間でずっと業務することになる。ホワイト企業とは…?
- 2年目にて品質管理と生産技術、研究開発の兼務になる。いや、研究開発したいとは言ったけど、兼務する余裕はないですよ…
- 仕事が回らなくなる。だけど、36協定以上の残業をしてはいけないとの指示を受ける。
品質管理手法の大切さを学ぶ。
最初は嫌々だったものの、品質管理の面白さを業務を通じて学びました。
QC7つ道具を始めとした品質管理手法を用いることで、網羅的に要因を見つけ、改善するということを学びました。
また、発生対策と流出対策といった考え方や、恒久対策などの概念を日常生活に応用していくこととなりました。
実務を通じて教えてくださった、先輩のSさんに感謝。
読書を習慣にし、アドラー心理学に強い影響を受ける。
品質管理手法を学んだ僕は、
まず自分の根本である性格を改善しないと、自分が持っている全ての課題は解決しないのでは?
という仮説を立て、読書を始めました。
そんな中で出会った書籍の中でも特に好きなのが、「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」です。
- トラウマは存在しない。
- 課題を分離せよ。
- 人は常に「変わらない」という決心をしている。
- 「人生の嘘」から目を逸らすな。
など、まさに自分の事を言われているようだと思った衝撃は今でも忘れられません。
自分の人生が上手くいかない原因を両親・家庭に求めていた自分は、まさに「人生の嘘」をついていたのだと思わされました。
それに、会社への不満をただ愚痴るだけでなく、改善に向けて自分のできることをやっていこうとポジティブになれました。
こういった名著との出会いから、今でも読書は辞められない習慣になっています。
FIREを目指し、投資を始める。
そんな折、2年目の時にFIREについての記事を見つけました。
価値観に共感し、FIREを目指すべく投資をスタート
会社へは、自分の思っている不満はちゃんと伝えた上で、金銭的にも自立すれば憂いなしというのが自分の考えです。
結果、それまでは貯金すらしていませんでしたが、固定費・食費を見直していきました。
ビリヤードの練習についても品質管理手法を活用してメスを入れ、無駄な練習を削減していきました。
仕事との兼ね合いもありますから、自分ができる時間で、最大効率の練習をしていこうと奮闘していました。
勤め先の方向性・働き方に限界を感じ、退職を決意。
- 残業を減らそうと効率化を図れば、仕事が増える。
- 部署移動や業務内容の見直しについて上司に掛け合っても、「いつか」の一言。
- 開発案件のPM(プロジェクトマネージャー)のあたりが強く、詰められる。
こういった状況の中、上司に言われた一言で退職を決意しました。
開発の仕事に終わりはないからね。毎月きっちり残業してもらうよ。
これまで、少しでも時間を捻出しようと努力していた自分は何だったのか…。
部署の移動もできず、残業も減らず、急ピッチの仕事に追われる毎日。そして、終わらなければPMに詰められる。
もうこれは、退職するしかないと思いました。
上司もPMも、その人自身が悪い人な訳ではないと思うんです。人手不足や、KPIが無茶苦茶だから、こういう発言をせざるを得ない状況だったんだと僕は感じています。
だけど、その理由で自分を犠牲にしてまで働く意味があるのかと思いました。
300万円貯まったら退職しようと準備し、2022年6月末で退職しました。
退職後に帰省した理由
少し、ゆっくりしたかった。
僕自身、退職後はすぐに転職はせず、少しゆっくりしたいと思っていました。
働いて、勉強して、ビリヤードして、とずいぶん忙しかったですしね。
しかし、300万円という元手では、セミリタイアは夢のまた夢です。奨学金の返済も残っていますし。
ゆっくりするなら、生活費を抑えられる実家の方が良いと思っていました。
実家で今起きている問題があること。
退職準備中に兄と母から連絡があり、このような問題があると聞きました。
- 父が食道がんになったこと。
- 実家で害虫が大量発生し、母がノイローゼ気味になっているということ。
- 家業があり、兄が継ぐことになったが、激務で大変だということ。
- その他:祖父が介護施設に入って、荷物の整理が追い付いていない、など。
とにかく、人手が足りないとのこと。
実家に帰るだけでは暇ですし、問題があるならプチリタイア中の僕がやってやろうと思いました。
父と母に幸せになってほしい。
両親の仲も相変わらず悪いようです。
※実際に帰省してみると、家庭内別居しているので、罵詈雑言が無いので安心しました。
正直言えば、両親のことは好きではありません。
だけど、塾に通わせてくれたり、大学院まで通わせてくれたりと、金銭面でサポートしてくれました。
そんな両親は、お互いがお互いのことを嫌いで、不幸だなと思ったんです。
もう結構な歳ですし、残りの人生くらいは幸せに生きてほしいと、素直に思ったんです。
家族団欒は厳しいと思うので…どうしたら良いんでしょうかね。
離婚してもらうか、現状の関係性のままお互いが楽しく生きれるようにするか、
はたまた僕の考えている理想は夢のまた夢で、何も解決できずに僕が去ることになるか。
どうなるか分かりませんが、頑張ってみようと思います。
本当は、父と母に仲直りしてもらうことで、自分が幸せになりたいだけなのかもしれません。